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2012年6月

御伊勢参り②

もともと 最終目的地は お伊勢さん。

なんで 御在所? 忘れた。(なんでやねん)

湯の山温泉の 安い お宿に一泊。

食堂で 一人さびしく 向かいの カップルを うらやましく 眺めつつ(-_-;)。

ほろ酔い。 部屋にもどり もういっぱい。 あー うらやましー

もー 寝る。

翌日 宿の近くの バス停で 駅行きの バスに乗車。


なんの アバンチュールもなく四日市へ・・・。

気楽な 一人旅。 これは これで・・・。(って 強がって)

いざ、 伊勢神宮。

伊勢市駅到着。目の前に伊勢神宮 あるのかと思ったら、

外宮。内宮?

つづく

御伊勢参り

数年前 愛知に来て 何年か目で 軽ーく 旅行。

そのころ 車なかったので 電車。

とりあえず 目的地は 三重の 御在所。

名古屋から 近鉄で 四日市。

なんか 活気がない。商店街 がらーーーん。

湯の山温泉線で 湯の山温泉へ。

えーと どこに 泊まったんだっけ・・・。

一番安い 国民宿舎。 に予約。

おじさんの 一人旅。気楽な もんです。

んで 一日目 湯の山温泉駅から 湯の山温泉へは バス。 

乗客 わたし 一人。 たははぁ。 まっ いっか。

もちろん ロープウェイに乗って 頂上へ。

ここも お客 すくな! ロープウェイ は 乗客私ひとり。

ロープウェイ 高っ! 実は SAKUちゃん 『高所恐怖症』。

実は 実は 『週刊実話』。(おやじギャグ)

ロープウェイ乗車中 ずっと 床に うずくまってた。(-_-;)

頂上 なんてことない 頂上。

カモシカがいるとか どうとか。

ふうーん冬は スキー場なんだ。

ぐるーっと まわって また ロープウェイで 下山!?

また 床に うずくまって・・・・(-_-;)。

んで 

つづく     (なんやねん 今日のネタ)

 

ういろう と 赤福

いまから 7年前 あの愛知博の 年 愛知にきました。

帰省するとき おみあげ 何がいいんだろうって まわりに聞いたけど

有名な 『ういろう』にしようと 思ったけど。

ほとんどの人が 『ういろうはやめとけ』って。

愛知じゃないけど 『伊勢の赤福』が じぶんも 食べてみたかったので、

『赤福』買ってたら これが 大好評。『あーー これこれ』って

愛知の まわりの人は 『ういろう』 勧めません。

だから いまだに『ういろう』 食べたことありません。

そんなに ○○い?・・・。

あっ そうそう はじめての お土産は 『赤福』と

味仙の 辛い 手羽先(セントレア)でした。

でも 『赤福』 あんなに どこでも売ってるって なんか ・・・だったなー。

そう あんなことも あったし・・・。

ものごころ

ものごころ ついた ころには テレビがあった。

もちろんリモコンなどない あの ぐるぐると カチカチ回す ロータリー式の

選局つまみ。

わたしの地区は 岩手と秋田の県境。

近くに 中継局がなかったので、受信できるのは 隣の県の

岩手の放送局。 天気予報も岩手の県北が あってる。

某国営放送局も 岩手。 民放もTBS系のIBC(岩手放送 VHF)。と

日本テレビ系のTVI(テレビ岩手 UHF)。

あのころ  テレビのまだまだ 贅沢品。

けっして 裕福ではない 元庄屋様。(-_-)

うちの パパ ママ 頑張ったんだなーーー・・・。

 
『ぶーふーうー』(^_^;)。

continue

1960年代

私が生まれた 1960年。

世間では 『日米安保』うんぬんかんぬん。

もちろん それが 何か 知る由もない。

60年代の あの 学生運動も  マネしてたくらい。

父親のヘルメット を かぶり 木の棒をもち『全学連!全学連!』って。

意味を解らないとはいえ いま 考えると 怖いわー。

もちろん イデオロギー も もっともらしい 思想もない。

まさか その後 歪んだ 思想と わがままで 

あんな ことが 起きようとは・・・・・・・。

うあーーー 外は 台風?

今日は S先生との 面接?

うーーーん  ○○○○○○○○○返納!

はい 摂生します(-_-;)。

眼科のK先生。 いたって ふつう。

今日は いや 今日も やさしい K先生。

ヒューーーーーーーー。名鉄空港線 規制だ。

今日から 明日は 外で出るな!

ワンワン

先日 現場から 事務所への帰路。

伊勢湾岸道。 走行中。

                 
隣の車線の 1BOXの 車内テレビが目に入った。

                                  
後部座席に向けてのテレビ。 そう 子供が 食い入るようにみてた。

たぶん 『おかあさんと いっしょ』 そう 『ワンワン』 うつってたもの・・・。

                                        
(なんで あんたが ワンワン 知ってるの・・・)(^_^;)

                                
追い越しざま 見えたのは 一生懸命 運転してる あれ?おかあさん。

                                             
後部座席の影は パパ?

                   

がんばってね! おかあさん。


私も 昔 みてた 『おかあさんと いっしょ』
                              
『アイ アイ ♪ おさーるさんだよー』『迷子の迷子の こねこちゃん』

 

いまは 私が 人生の 迷子!(そんな オチかい!)
 

世がよであれば

私の 実家、いわゆる 本家。

昔 地区では 有数の 庄屋?本百姓 大地主。(実際は 小地主)

世が世であれば、私 庄屋の おぼっちゃま。^_^;

母親いわく マッカ-サーの農地改革で 『かまど けした』

直訳すると 『しんしょうつぶした』まっ 『破たんした』。って やつ。

それは それで よかった やはり わたしは 何人も 平等であるべきと 思う。


いまは 本家が 一番 ○○なのです。(-_-;)

馬も いました。(私は 記憶ない)

牛もいました。私も 世話しました。(短角牛)<-霜降りじゃなく赤みが多くヘルシー。

実家は 築数百年のかやぶき住居。夏 涼しくて 冬 やっぱり 寒い。

私が 20過ぎかな 新築。

そのかやぶき住居の解体の時、屋根裏から・・・。

刀が 出て来たのです。

『短刀』。武士ではないけれど 護身というよりは、

庄屋としての 切腹用だったのでは・・・ という はなし。

たまたま 帰郷した時(20数年前) 触ってみました。

たぶんみんなが 触ったんでしょう 紫色に 汚れてた。

自分が はいてた ジャージに あてがってみました。

力を入れなかったんだけど すーっと ジャージが 切れちゃった。

ちょっと 力入れてたら 大変な ことに なってた。
やっぱり本物は 全然違います。

それから 銃刀法違反ならないように 県の教育委員会に届け出。

そう あーゆ系統のものは 警察じゃなく 教育委員会なのね。(文化財?)

その後 実家に 飾ってたけど 町からの 依頼で 町の 

資料館に 貸出? 今はとある 資料館に移ったって 話だけど 不明。

えーい どこ いったんじゃ。

追記

戦中の あの金属かき集めの 令 も  まぬがれたのかな・・・・・・。

どことなく 品が ある わたし(^_^;) ねっ あねさん。

おぼっちゃまくずれの SAKU いまは なんにも ないけど

 あつい ハートだけは・・・ 

(あーーー うっといしいーーーそれが うっとーしーー)m(__)m

遺産相続で もめるほどの 資産もない そんな ○○家。
あったとしても もめるくらいなら いらんわ!

それだけ 長男(兄)は苦労してるもの・・・。

金と 色恋で 落ちていくのよ 人間て。

猫の 額ほどの 土地の いざこざでもめるなんて あほらしい!

そんな 人生なんて いやだ! (よっ! 野口先生 くずれ!)

つづく

 

あのころ

私の 生まれた地区?は 幼稚園じゃなく 『児童館』っていってました。

たぶん3歳ころから 小学校入学まで。

自分でいうのもなんですが かわいい子(だったと 思うよ たぶん)(^^)
                                    

父親のバイクで 隣の地区の児童館に 通ってた。(いや 自分でじゃなく 同乗して(^^))

素直な いい子でなく ちょっと そう ちょっとだけ いじめっ子。
                                    
罰で よく 児童館の倉庫に 入れられてた。(ここが まー ワックスくさいったらくさい)
 

お昼寝の時間 寝ないで いると 先生に 

あの 中指で パッチン (あれ なんていうんだろう・・・)

 

追記

地区って言葉には ちょっと抵抗あるんです。

ほんとは 地元では ○落って 言ってた。

でも 今は 差別用語なのね。

私たちが ふつうに 使ってた 言葉が 言えないなんて ちょっと 変。

けっして そのような 意味で 使ってないのに・・・。

だれが 弱いんだろう  誰が強いんだろう。

 

じぇごたれ(田舎者)の SAKU。
そう 野口英世先生の 偉業を 見習い、人生を歩んでゆく SAKUであった。

つづく。
 

ナゴヤドーム

久々の 野球観戦。

                    

6/8(土) お仕事 はやめに終了。

                      
中日vs楽天 交流戦。
                

とりあえず 当日券に期待をよせ いざ ドームへ。

                                   
わーーー やっぱ 内野しかない。 高っ!

えーーーい『おねーちゃん 内野Aレフト側 1枚』
  Dsc_0018_2


                       

とりあえず 生 生 生ビール^_^;(なにしに いったの)

     
Dsc_0023_2


もちろん 東北楽天 応援っす!

でも まわり ほとんど 中日ファン。

試合は アホな 銀ちゃん(銀次)のアホな 走塁で・・・・・・・ バカヤロウー!

もう ヤケ酒や!

本気で 酔っちゃった。(だから なにしに いったん)     

 

あの日 あの瞬間

生まれてから何年間のころの 記憶は もちろん無い。

でも あの日のあの時の 瞬間は あるのです。

たぶん3歳 実家はからぶき屋根の 古い家。囲炉裏がありました。

バカな 私は そのまわりで はしゃいでたのです。と 思う。

そして 足を 踏み外して 囲炉裏にかかってた 沸騰中の なべに・・・。

記憶は なべに 左手が そのコンマ何秒間前から入る瞬間まで。

ケロイドは 今も残ってますが、中学入るまで 気にしてました。

その時 だれも 後ろに いないはずなのに、『誰かに 押された』

と 親戚とまわりのは いいはってたそうです。

昔から 性格 悪かった。^_^;

やだねー。

しかし そんな ことにも めげず SAKUの エンターテイメントは

花ひらいていくのです。ヽ(^o^)丿(って 関連性がわからん)

continue…。



 

1960

1960 年 夏 

母親の話では 暑い 日だったそうです。

私が 出てくる 寸前まで 農作業してたって・・・。

昔の人は 強い!

                        

高度成長期初期?

東京タワーは すでに 建ってた。


もちろん そのころの 記憶は ない。

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